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手が冷たいと、そう感じて目が覚めた。美和(みわ)は枕の上で首だけ動かし、自分の右手が布団の外へ出ているのを確認した。夢でも見て、何か取ろうとしたのかも知れないが、覚えていない。そのまま目覚まし時計を持って時間を見ると、まだ五時頃だ。起きるには早いなと思いながら隣を見る。美鈴(みすず)が寝ている。寒いし、こっそり甘えてしまおうと、起こさないようにそちらの布団まで移動した。
約九十分後、目覚ましではなく、美鈴に布団を捲られてもう一度目を覚ます。
「あれ、お姉ちゃん、おはよ……。」
「おはよう。」
「目覚まし、鳴ったっけ?」
「鳴ってないよ。その前に私が起きたから、止めちゃった。」
「早起きさんだね。」
「みわちゃんがひっついてくるからでしょ。高校生にもなって。」
「布団、離してもいいよ?」
「そしたら来なくなるの?」
「ううん。」
「まったく……」
美和がいた方の布団に正座していた姉は、立ち上がっていってセラミックヒーターを鏡台の前まで運び、電源を入れた。ただ、今はまだ着替えない。先に洗顔等を済ませてから戻ってくる。
布団を畳んで階下の洗面所へ向かう。階段を挟んで反対方向が食堂や居間、縁側で、祖父母がもう朝食の支度をしてくれていた。
「お祖父ちゃん、お祖母ちゃん、おはようございます。」
美鈴が声を掛け、美和もそれに倣う。
「おはよう、今朝は寒いね。」
お祖母ちゃんと軽く会話し、洗面所から戻ってくる頃にはお祖父ちゃんは新聞を読んでいる。後は着替えてくるだけだ。
「お祖母ちゃんの言う通り、着替えるのしんどいね。」
ヒーターを点けてさほど時間が経っていないので、鏡台前のスペースは少し暖かくなった程度だった。
「もう一台要るかな。」
美鈴が言う。
「何て言うか、二台にすれば二倍になるの?」
「そうね……どうなんだろ。今日、寝る前に調べる?」
「うん。」
タイツとスカートとワイシャツまで身に付けて、ヒーターは止めてもう一度食堂へ。今度は戻ってこないので、荷物は全て持って出る。
「いただきまーす。」
「みわちゃん、座ってから言うの。」
「まあまあ、美和、晩ご飯は何が良い?」
「お祖父ちゃんも、座って。」
美鈴が引いた椅子にお祖父ちゃんが座り、隣に美和、向かいにお祖母ちゃんと美鈴が座った。テーブルの上には昨夜残ったご飯と味噌汁、新参で焼鮭と柴漬け、希望者には納豆といった具合だ。
「これ、お弁当ね。」
お祖母ちゃんが隅の包みを指差した。まだ温かい。
「ありがとうございます。」
「で、晩ご飯だけど……」
「お父さん、一人で作ってくれるの?」
「いや、お母さん手伝ってよ。」
「いいですよ。」
夕食のメニューを決めながら、毎朝の確認事項を訊いておく。
「お祖母ちゃん、お母さんからメッセージは?」
「さっき来てたよ。美和をよろしくって。」
「私だけ?」
「心配なんでしょうね。」
「ぶー。」
笑いながらお祖母ちゃんは、余ったと言って鮭をくれた。朝は皆腹七分目くらいで済ませるから、美和の方も食べ終わりそうだ。食後には残りの着替えが待っている。リボンを付け、ブレザーを着て、髪をセットしてから更にコートとマフラーを着込んで完成。髪だけは美鈴とお互いにやってあげるのだった。
「みわちゃん、アップでいいのね?」
「うん。お姉ちゃんも同じくする?」
「私はこのままで。学校着いたら縛るよ。」
「はぁい。」
家を出たら、最寄りの上台(じょうだい)駅まで十分程歩き、そこから電車に乗って、三十分強で降車駅の蓮妻(はつま)に着く。次はバスで七~八分、高校近くのバス停から校門までは三分も歩けば良い。美鈴は卒業後は就職すると決めているので、周囲の企業に評判の良い学校を選んでいた。また、母の勤め先とアパートに近いというのもある。美和の方は、姉がいれば安心だと思い、何となく後を追って入学したのだった。
改札を通り、ホームに出て電車を待つ間、美鈴はスマートフォンを取り出して触り始めた。美和が入学した時、もう持っていないと不便だろうという事で買って貰った物だ。家族会議では美鈴が遠慮したが、格安の通信サービスを契約する条件で決着した。
「昨日の続きからだね。」
美鈴が見せてくる画面を、美和も覗き込む。前もってダウンロードしておいた映画を、電車に乗っている時間に見るのが二人の日課だ。上台の周辺地域は寂れており、ここから乗車する人は必ず座れるので、何かしたいねと話して決めた。
「お姉ちゃん、来た。」
「うん。」
何人かの人と同時に電車へ乗り込み、二人掛けの座席に落ち着いた。イヤホンを分け合って肩を寄せる。今見ている作品は残り五十分くらいで、そういう場合は帰りの電車か、家でラストシーンを見る事もあった。
「みわちゃん、今日全部見ちゃう?」
「うーんと、明日でいいよ。今日は放課後、麻理子ちゃんと寄り道するの。」
「そう? じゃあお姉ちゃん、今日は先に帰るよ?」
「うん。」
美和の友人、貝園麻理子(かいぞのまりこ)は家庭科部に所属している。家庭科部という名前ではあるが実際には料理部で、今度作るケーキの材料を一緒に選んで欲しいと頼まれていた。放課後、麻理子のいるクラスへ迎えに寄り、二人で校門を出た。バスに乗って駅より一つ前の停留所で降り、商店街まで歩いていく。
「ケーキの飾り付け、自分で買うなら好きなのにしていいよって言われてさ。」
「花木(はなき)先生?」
「そう。それか、先生と一緒に同じの買いに行くか。」
「どのくらい自腹派になったの?」
「半々かな。飾りより、先生について行きたいって事なんだけど。」
「人気あるねぇ……。」
「優しいもん……。」
分けて欲しいんだよねぇ、何を? と笑いながら二人は洋菓子兼製菓用品の店に入り、予定の買い物を済ませた。その後近くの書店で、美和が買う料理の本を物色している。
「美和、家では練習出来ないんだよね?」
「うん、まだお祖父ちゃんお祖母ちゃんには内緒。」
「早く上手くならないとね。」
孫とはいえ、黙って住まわせて貰うのは悪いと考えた美和は、お祖父ちゃん達に隠れて料理を勉強し、いつかそれを明かして驚かそうと思っていた。ただ、一口に料理と言っても範囲が広いので、まずは弁当のおかずに特化して、お祖母ちゃんを手伝えるようになるのが目標だ。
売り場にあった中から手軽に作れるレシピを集めた本を買い、立ち読みしていた麻理子を呼んで店外へ出る。その辺の自販機横の、人が通らない場所に並んで、美和は本を鞄にしまった。
「じゃあ、最後に先輩のとこへ……」
「そうだね。」
二人が入ってきたのは駅前側のアーケードだったが、今度は逆の出口、市道や駐車場側の方へ向かう。その外れに近い所に梱包用具の店がある。そこで働いているのが家庭科部のOG、菅谷椎菜(すがやしいな)先輩だ。
自動ではないドアを引いて中に入ると、レジには別の人がいる。先輩はと探したら、ポリ袋が置いてある棚を整理している最中で、美和達に気付くと向こうから歩いてきてくれた。スニーカーにジーンズとポロシャツ、その上から店の名入りエプロンを身に付けている。
「いらっしゃい。今日は麻理ちゃんの買い物?」
「はい。後、美和も。」
「美和、私に用があって来たの?」
そこで美和達を待たせ、椎菜はレジの人に何か話しに行った。戻ってきて、美和の頭を撫でながら笑顔を向けてくる。ショートボブの髪が傾いて、少しだけ匂いを感じた。
「必ず何か買っていくなら、少し話してても良いって。まあ、仕事中だからね。」
「えー、何かって、何ですか……」
麻理子は渋りつつ、仕方ないのでその何かを物色している。美和は鞄の中から本を出した。
「椎菜先輩、これ……」
「お、買ったんだ。ここから明日のメニューを決めたいの?」
「はい。」
昨秋ごろ、どこで料理を練習したら良いか麻理子に相談して、紹介して貰ったのが椎菜だった。現在、土曜日に彼女の部屋へ通い、料理を教わっている。普段は夜に電話で何を作るか話し合うのだが、今日は本を買ったので、ここで済ませてしまうつもりで来た。
「どれ。」
目次から適当にページを繰り、椎菜は美和にも内容が見えるように腕を動かす。
「このグラタン、良いんじゃない? 冷凍しておけるって。」
「良いですね。お祖母ちゃんのレパートリーにはないし、幅が出ます。」
「後、ベーコンとキャベツの、何か味付けて炒めてる奴。」
「これですか……。」
「私がつまみにする。」
「先輩のおかずじゃないですか!」
「いや、お弁当にも使えるから。」
他のお客さんが入って来たので椎菜は本を閉じ、美和に返した。
「じゃあ、明日はいつもの時間?」
「はい。よろしくお願いします。」
麻理子と一緒に約束通り買い物をして、美和は家路についた。帰宅後、宿題や夕食を終えてから自室でレシピ本を眺めていると、風呂上がりの美鈴が戻ってきた。
「お姉ちゃん上がったから、みわちゃんもお風呂行って。」
「これ、どこにしまおう。」
「秘密にしたいのよね。文机の中でいいんじゃない?」
そう言われて、美和は二人分並べてある机の前に寄っていった。普段は年頃の自分達に気を遣い、お祖父ちゃんもお祖母ちゃんもそもそも部屋自体に入ってこない。が、万が一という場合もあるので、一応引き出しの中の、他の教科書等の下に滑り込ませておいた。美和はそのまま、机の上に乗っていた自分のスマホを持って、姉の方へ向き直る。
「お風呂上がったら、朝言ってたの、調べようね。」
「ヒーターのあれね。」
美鈴は美和の隣、自分の机の前に移動して座りながら答えた。
「お弁当、色々作れるようになったらお姉ちゃんにも教えてね。」
「人に教えるなんてやった事ないけど……」
「ふふ。楽しみにしてるから。」
美鈴に見送られ、パジャマ等を抱えて部屋を出る。廊下の寒気が足を早めさせた。お祖母ちゃんに一声掛けてから洗面所へ行って服を脱ぎ、風呂場で体など洗って湯船に浸かる。ここまでで結構時間が掛かるなと思いながら、ようやく手足の先まで温められてリラックス出来た。明日、学校は休みだが美和は蓮妻に行って椎菜に会う。そこで数時間過ごした後、母と待ち合わせて一緒に自宅へ帰る。現在、母は一人暮らしをしているが、隔週末に帰ってきてくれるので、それも楽しみの一つだった。何を話そうかと、良い色になってきた自分の肌を見ながら、美和は今週起こった出来事を振り返っていた。
と、会話の事に気を取られて、当日になってから美和は着ていく服の事を全く考えていなかったのに気付き、慌てて姉に頼んで一揃え選んで貰った。こういう時、一人で決めると大抵後悔する結果になるからだ。
「お姉ちゃん様々だよー。」
「はいはい。鏡の前に立っててね。」
美鈴はプリーツのロングスカートに、セーターとコートと、帽子も手早く合わせてくれた。
「靴は自分で決めれるよね。」
「ありがとう、お姉ちゃん。」
「どういたしまして。」
美鈴は文机の前に戻り、それまで読んでいた本をまた開いた。美和は通学ルートを辿って蓮妻で椎菜と合流し、駅前のスーパーで食材を買ってきた。今は二人でバス停の前にいる。商店街や高校は西方向、対して椎菜の家は南の方にあり、本人が言うには田んぼのど真ん中だ。
「なーんも無いんだよね。」
「ですよね。」
「ちょっと!」
「先輩、自分で言ったんじゃないですか……。」
草浅(そうせん)南7という停留所でバスを降りる。田園地帯と混ざるように戸建やアパートが建っており、ここから先はもう、隣町への幹線道路と郊外型の店舗が点在するベルトが始まっていた。コンビニに行くにも徒歩では時間が掛かるだろう。
「さて……」
買い物袋を一つ渡され、美和は椎菜について歩き始めた。停留所から少しだけ道を戻り、ここから見えているアパートを目指す。直線距離だと近いが、畑を迂回して行くので実際はもっと遠い。だから歩きやすい靴を選んできた。
「うちに来る時、大体それだね。」
「先輩も、大体同じですね。」
椎菜はパーカーとややタイトなスカートに、スニーカーを履いている。勤務用の物は小綺麗だが、こちらはもう少し使い込まれた感じだ。
「そうだね。あんまり沢山持ってないってのもあるけど。ネットじゃ買えないよね、靴とか。」
「服とかは、ちょっと、そうですね。そうじゃない物だと便利ですか?」
「便利に感じるところと、そうでないところと……まあ、便利寄りかな。」
話しているうちに椎菜のアパートに着いたので、彼女が鍵を出せるように荷物を全て持った。階段を昇って部屋のドアを開けてから先に室内へ入れて貰い、袋を玄関先に置いて椎菜を招く。
「お帰りなさい。」
「ただいま。」
美和の言葉に、椎菜は笑って答えて腕を伸ばしてきた。抱き寄せられるのに身を任せ、同じく椎菜の背中に腕を巻き付けた。顔を離して見上げると二人の目が合う。この後どうするか、何となく分かるので目を閉じる。すぐ頬に唇が触れた。
「跡ついた。」
リップの跡がついたらしい。わざとやっている。
「拭いて下さい。」
「ん、今の顔可愛い。暫く見せててよ。」
「もー。」
結局、これから使う物を残して食材をしまい終えるまで、椎菜は頬を拭かせてくれなかった。ウェットティッシュを出して、軽く美和の顔に触れながら、今もまた笑っている。
「ぷにぷにね。」
指先で肌をつつかれる。
「また遊んで……」
「だって、美和がさぁ……」
その先は言葉にせず、目で意思表示しながら手を取り、台所の方へ美和を誘うと、椎菜は一歩身を引いた。ワンルームに備え付けの物なので空間が狭く、後ろの位置から指導するのがいつものやり方だ。
「では、いきますか。」
「はい。」
冷蔵庫横の壁に掛かっているエプロンを渡され、身に着け、その間に椎菜はレシピ本を確認している。
「えーと、玉ねぎ刻んでおかないといけないのか。まずそれだね。」
「はい。」
指示通りに作業をする。椎菜が手元を観察しているのが分かる。
「危なげなくなってきたね。でもこのレシピ、後は炒めたりするだけみたい。ほんとに手軽だ。私も良さそうなのメモっといていい?」
「いいですよ。」
「じゃあ、試食したら書くわ。」
普段なら椎菜が時々場所を代わって教えてくれたりするが、今日はそんな場面も無く、スムーズに弁当用グラタンが完成した。試食は大体その場で立ったまま、残りは全部椎菜が食べる。まだ秘密である以上、美和が家に持って帰ったりはしない。
「あーん……」
小皿から箸でグラタンを一口取り、椎菜は美和の口元へ近付けた。
「お箸ですか?」
「私はお弁当に箸しか付けてかないから。美和はどうしてるの?」
「そう言われると……」
取りあえずグラタンを食べながら、お祖母ちゃんとの毎朝のやり取りを思い出す。
「私もお箸ですね。でも、スプーンもいいですね。」
「先割れのやつね。」
「はい。可愛いの売ってそう。」
「美和、きっと似合うよ。」
試食分が無くなったので残りを小分けにして冷凍し、道具も片付けた。当初はもう一つのメニューを作る筈だったのが、
「これさ……」
「キャベツがどうこうのあれですか?」
「うん、教える程の要素がないよ。何で載ってるんだろ、これ。」
「じゃあ、これはいつか一人で作ります。」
「じゃあ、その分美和といちゃつきたいんだけど、いい?」
「んー……あー!」
勿体ぶろうとした途端に捕まえられ、抱き付かれたまま、部屋の真ん中へ連れてこられた。テーブルと、二つの座椅子がある。その一方に美和を座らせ、
「待っててね。」
椎菜は美和のレシピ本と筆記用具を持って戻ってきた。自分も座椅子に膝を揃えて座り、美和の上半身を引き寄せて膝枕をしてくれた。空間の都合上、顔を密着させる姿勢になる。
「やわらかーい。です。」
「頬ずりしないの。」
そう言いつつ、特に止めようともせず、椎菜はレシピのメモ書きを始めた。時々美和の髪を撫でては顔を覗き込む。楽しそうだけれど、多分美和も同じ表情をしているだろう。
「終わりました?」
「まだだけど……別に今日全部書かなくてもいいのか。」
「そうですよー。」
美和は寝返りを打ち、椎菜の胸元に顔を上げようとした。
「頭ぶつけちゃうよ、美和。」
美和が登ってきたので腕を引いていた椎菜が、そのまま抱き留めてくれた。テーブルとの間だから狭い。そこで椎菜側の座椅子の背もたれを動かして倒れさせ、二人共一緒にもつれて寝転がった。
「おっぱい……」
「甘えっ子ね。」
美和の髪を撫でる椎菜。その指と、呼吸に合わせた胸の上下が心地良い。暫く目を閉じていたら、腕が腰の方に来て、今度は美和の方が下にさせられた。
「ちゅーしたい。」
「どうぞ。」
キスを軽く一度、更にもう一度、より長く。その次には椎菜が唇を広げ、舌先を伸ばしてきた。目を合わせ、美和も同じようにしてそれを受け入れる。舌同士の絡む音と共に吐息も混ざり合う。息継ぎをしたくなって少し口を離したが、すぐに追われ下唇を吸われ、上唇まで全体を覆うように、休みなく口内を貪られた。どうしても呼吸が荒くなってしまい、肩と胸が上下しだすと、椎菜はようやくキスを止めて、美和の上半身を起こした。
「美和、赤くなってる……」
「先輩だって……」
見ると、椎菜も息が上がっていた。抱き合ってその動悸を感じたい。どうやら、椎菜は最初からそう考えてキスをしてきたようだ。気持ちが重なったと思い、美和は自然と笑顔になった。
「立って。」
二人は立ち上がり、ちょっと苦しいくらいに抱き締め合った。息がなだらかになると、椎菜は美和に服を脱ぐよう促してきた。
「先輩は?」
「私も脱ごっか。」
椎菜はパーカーとTシャツを脱いでブラ姿に、美和はブラキャミソールを着てきていた。
「可愛いね。」
そう言いながら椎菜はスカートを脱ぎ捨て、近付いて美和の腰にも手を掛ける。
「脱がせてあげる。」
「ん。」
脱ぎ終えたスカートを跨ぐ時に体を引き寄せられ、また軽くキスをされた。椎菜の手の方は美和のお尻に宛がわれ、キスの後に撫で回してくる。少し身を捩りながらも抱き付いていると、お互いの胸が押し戻し合う。美和の両手は椎菜の背中にあったので、
「外しちゃって……?」
僅かに頷き、美和は指先でホックを外し、すぐ自分も脱いで胸を晒した。椎菜は黙って両手を伸ばしてくる。乳房の形に沿うように指が触れ、優しく撫でながら徐々に捏ね回す動作になってゆく。美和が漏れ声を抑えられなくなる頃には、乳首も万遍なく刺激され、熱さが体全体に伝わってきていた。その様子を見て椎菜は左手を下ろし、美和の右手をとって自分の胸に当てる。
「私も……」
普段は見せないような、物欲しそうな表情の椎菜。美和を興奮させる。目と目で気持ちを交わしながら愛撫しあい、また抱き締め合い、唇を吸い、今度は指がショーツの中まで入り込んできた。汗ばんで布が張り付き気味なのが分かる。
「先、靴下脱いじゃいたいです。」
「じゃあ、早く……」
座椅子に戻って靴下を脱いでいる美和の隣に、椎菜も座って横から腕を絡める。耳たぶを舐められた。待ちきれないようだが、脱ぎづらい。
「もう……」
顔をしかめると、椎菜は私がしてあげる、と言って美和の足の方へ移動した。靴下を外してから、太ももを触り、それからまた指がショーツの端にかかった。
「見せて?」
「……」
美和は表情だけで椎菜に答え、今日はどういう風にして貰えるのかを想像し、期待に口元を緩めていた。
玄関先でハグを受け入れてから、バス停まで椎菜に見送られて美和は駅へと向かった。車内で母とメッセージをやり取りしておいたのですぐ会えるだろう。
「みわちゃん、こっちこっち。」
待ち合わせ場所には既に母が来ており、駅舎前のベンチに座っていた。美和が側まで行くと、立ち上がって手荷物の中を探り始めた。
「これこれ、可愛いなと思って。」
「マフラー?」
「うん、着せてあげる。」
自分で髪を持ち上げ、母にマフラーを巻いてもらう。思った通りだと、満足そうだ。
「似合ってる。」
「くれるの?」
「うん。みわちゃんのよ。」
自宅に着いてから、母は祖父母に菓子折を渡し、美鈴にもネックレスをあげていた。
「お母さん、ありがとう。みわちゃん、お姉ちゃんに付けてくれる?」
「いいよ。お母さん、首に巻く物繋がりってこと?」
「違うわよ、たまたま。」
一息ついた後で、風呂に行く母について行こうとしたら断られた。
「みわちゃん、もう高校生でしょ。」
「お姉ちゃんと同じ事言うね……」
仕方なく、美鈴と二人で自室へ戻り、来週通学中に見る映画を決める事にした。何となくだけれど、お互いの端末を交互にダウンロード先にしている。次は美和の番だから、自分でメニューを操作しながら、美鈴にも見て貰う。
「お姉ちゃん、見たいのある?」
「コメディかな。それか、文学的なの。」
「簡単なのか、難しいのね。」
「うーん、まあ、そうかな……」
苦笑しながらも、姉は美和にチョイスを任せてくれている。候補が絞られてきたところで、着信音が聞こえてきた。美和はバイブのみしか使っていないので、
「私だね。」
美鈴は自分の鞄を探り、電話に出た。会話の片方しか分からないが、友達から明日のお誘いを受けているようだ。長話になると予想したのか、メモ紙に「適当に選んでおいて」と走り書きして寄こす。でも、別に急いで決める必要もなく、美和は一旦端末を置いて、階下へと下りていった。
「お祖父ちゃん、何か手伝う?」
「いや、無いかな。今日は鍋と、出来合いのおかずだけなんだ。」
確かに食卓はもう準備万端で、美和もお祖母ちゃんと一緒に座って待っていれば良かった。母が風呂から上がっても、何も手伝わなくていいように配慮したのかも知れない。勿論多少の仕事は残っているが、それは美鈴と美和の担当だ。
「瑛子、会社はどう?」
母が来た後、ご飯をよそい、茶碗を美和に運ばせながらお祖母ちゃんが尋ねる。
「どうもしないよ。行って、働いて帰るだけ。」
「誰か、良く話す人とかは?」
「少しいる。」
母はつてを頼り、冷凍食品の工場で働いている。美和は、お祖父ちゃんもお祖母ちゃんも毎回同じ事を訊くのだなと思う。しかし、本当に知りたいのはそこではないのだろう。いつまで今の生活を続けるのかとか、親もいつかは居なくなるのだからとか、もっと先の話をしたいに違いない。ただ、今はまだ、母にも纏まった答えは返せないから、当たり障りの無い会話に留まっている。この猶予された状態が続いている内に、自立して家族の負担にならないようにしたい、というのが美鈴の考えだそうだ。
「お祖母ちゃん、私、明日は友達と遊びに行きます。朝から出ます。」
「お昼はいらないのね?」
「はい。だからみわちゃんが、お母さんを送ってあげて。お昼頃に出るんでしょ?」
「うん。みわちゃん、うちまで来ちゃう?」
「ううん、明日は駅までで。」
「そう。」
たまに美和も母のアパートまで一緒に行くのだが、今回は止めておこうと思った。
翌朝、まず美鈴を送り出し、美和はお祖父ちゃんについて古新聞の整理と庭の手入れ、母はお祖母ちゃんと簡単に掃除機がけをして、昼食は余り物で少なめに済ませてから出発した。
外の陽は比較的暖かく、このまま遊びに行きたくなってくる。が、昨日は母と過ごす為に宿題を放置してしまったので、大人しく帰らなくてはいけない。夕刻以降に姉の力を借りながらやるか、それとも早めにスタートして夜の自由を得るか、そんな選択で頭を悩ませていたら、母が手を繋いできた。
「ほら。小さい頃、良くこうしてなかった?」
「そうだね。幼稚園の送り迎えとか。」
「大きくなったね。」
あっという間に感じられると母は言う。まだ十代の美和には大人の時間感覚が掴めない。
「お母さんは何だか子供のまま大人になっちゃった気がするから、みわちゃんは今の内に色々考えて、準備して欲しいね。」
少し、自分への揶揄が含まれている言い方だ。美和はすぐに母と腕を組んであげた。言葉を作って口にして、という手順の間にタイミングが失われてしまうと思ったから。
そこへ携帯の振動する音が聞こえてきた。
「あ、あっと……」
母はやや狼狽えて美和から離れ、背を向けて携帯を取り出した。しかし画面を見て自分への着信ではないと分かったようだ。震えているのは美和の携帯だった。
「もしもし。」
電話をかけてきたのは椎菜だ。もう少ししたらかけ直すと言って一旦通話を切り、また母の側へ戻る。
「くっついてたから、どっちか分かんなかったね。」
「そうね。ちょっと慌てちゃった。」
「仕事関係の電話だと思ったの?」
「うん、まあね。」
駅舎の側まで来たので、切符売り場で母と別れ、美和は来た道を引き返した。椎菜へは家に着いてから折り返し電話しようと思っていたら、途中で向こうからもう一度かけてきた。美和としては全く予想外の事で、さっきの母と同じような反応をしてしまった。
「もしもし。」
『美和? そろそろいいかと思って。』
「いいですけど、後で私からかけるのに。」
『ちょっと、いたずらさ。』
「で、どうしたんです?」
『うん、午前中チケット屋で旅館の宿泊券を買ったの。美和と行こうと思って。』
「旅行ですか……一泊とかですよね?」
『うん。一晩泊まって、その前後にまあ、どっかで遊んで。』
「お祖父ちゃん達に訊いてみますね。行っていいか。」
『チケット無駄にしたくないから、お許し得てきてね。』
「私でなくても、別に誰かと行ったら……」
『美和以外と? 行かないって。』
「そうですか……。」
少し顔が赤くなったと思う。美和は電話を切ってから、掌を頬に当ててみた。手の方が冷たかった。
しかし、先刻の自分の表情は恐らく母とそっくりで、そこから、母が勘違いした電話はもしや、という連想が生まれる。仕事ではなく、プライベートで連絡が来る心当たりがあったのではないかと。その相手が恋人なのかどうか、母からそういう人がいると聞かされた覚えは無いので、美和は知りたくなってきた。と言っても、まだ家族に話していない訳だから、今の段階で訊いても答えてくれないだろう。こちらから探る必要がある。椎菜との旅行は土曜に出発して日曜に帰ってくる日程だ。その日は祝日で、月曜が振替日になり三連休。日曜夜に母のところへ泊まろうと美和は考えた。今までも泊まってはいるけれど、明確にそういう目で部屋を見れば何か気付けるかも知れない。正直、趣味が悪いかなとも思う。それでも美和が母の交際について知りたいのは、要するに椎菜の話をしたいからだった。二人で恋人の話が出来たらなという期待からだ。
それにはまず、お祖父ちゃんとお祖母ちゃんに旅行の許可を貰わないと始まらない。どう言えば良いのかと色々帰り道に考えてみたが、実際に話してみると簡単に許してくれた。宿に着いた時など、時々連絡をくれれば良いそうだ。
「どこかに連れて行ってあげたりとか、私達が出来てないからねぇ。」
お祖母ちゃんはそう言い、お祖父ちゃんも頷いて答えた。
「美鈴も、友達に誘われた時は遠慮無く言いなさい。」
「私は……」
姉は何も言わなかった。きっと、自分で稼ぐようになってから逆に二人を旅行に誘うのではないかと思う。宿題を終え、寝る前にその予想を話したら正解だと言われた。
「お母さんも一緒ならいいけど……」
布団に伏せて寝転がった美和に、遊び半分でマッサージをしながら美鈴が言う。
「仕事があるもんね。」
「連休がないからね、ちょっとしか。みわちゃんは連れて行くから。」
「私、留守番でもいいよ。」
「一人じゃ心配よ。側に置いておかないと。」
「そういう意味ですか……」
体を入れ替えて、次は美和が美鈴の手足をほぐしてあげる。
「上手ね。」
「旅行に何が要るかな?」
「持ち物はメモ帳か何かに書き出しておくといいわよ。出がけにチェック出来るから。今持ってない物は買いに行こ。」
「一緒に来るの?」
「うん、お姉ちゃんもちょっと、旅行気分を分けて貰うの。」
「そっか。」
何となく、美鈴に申し訳ない気持ちになってくる。いつか自分も働き出したら、姉妹二人での旅をプレゼントしようかと思った。
旅行に出発する朝、美和は美鈴に手伝って貰って身支度をした。荷物は昨夜詰めておいたので、そちらは忘れ物を確認するだけだったが、確かにメモ帳は役に立った。これが無ければ何かしら見落としがあっただろう。
「お姉ちゃん凄いね。」
「私もクラスの子に教わっただけだから。」
「お礼言っといて。」
「そうね。」
二人で鞄を挟んでいた体勢から、今度は鏡台の方へ移動する。
「色々出来る時間あるけど、みわちゃんどうする? 髪とか。」
「いや、普通で……」
「それで良いの?」
「先輩が、あんまり着飾らない人だから。」
「合わせるのね。」
髪型は普段通り、服も前回とは変えただけで、セーターやコート等、特によそ行きの物は選ばなかった。階下へ降りるともう朝食の準備が進んでいる。
「楽しんできてね。」
お祖母ちゃんに言われ、コートを自分の椅子に掛けてから少し手伝いをした。と、切りの良いところで美鈴に呼ばれて振り向く。冷蔵庫の横側にホワイトボードが貼ってあり、そこに各々の外出予定を書き込む決まりになっているのだが、美和はまだ何も書いていなかった。
「皆知ってるからいいかと思って……」
「せっかくの機会だし。」
「そうかもね。」
美和の欄に「旅行と、お母さんの所・月曜帰宅」と書いた。
「お母さんに、みわちゃんを甘やかさないように言った方がいいかな。」
「まあまあ。瑛子が良いなら、良いんじゃないか。」
お祖父ちゃんが着席し、隣の椅子も引いて美和を手招いてくれた。
「お祖父ちゃんもお祖母ちゃんも、何かお土産いる?」
「私達は別に……お父さんは?」
「じゃあ、お姉ちゃんに何か買ってきてあげなさい。」
「そう? お姉ちゃん、どういうのがいい?」
「木彫りの熊とかでなければ、何でもいいわよ。」
「そんなの売ってないって……」
朝食を終え、家族に送り出されて美和は家を出た。蓮妻駅に着いてホームへ降りると、もう椎菜が待っていた。ブーツとショートパンツにグレーのタイツ、ワイシャツにジャケットを羽織っている。普段着グレードより若干上な印象だった。
「先輩、私、すごい普通の格好で来ちゃいました……。」
「ううん。可愛い。」
手を引かれて、近くのベンチに並んで座る。次の電車でこの先の徳野(とくの)という駅まで移動し、乗り換えて目的地の恩重(おんのしげ)まで向かう。
「お昼前には着きますよね。」
「うん、ご飯食べるところ探さなきゃ。」
一緒にレストランなどを検索する。全国的な観光地ではないが、近隣の人間には良く旅行先として利用されるので、ポータルサイトがあった。ただ、一昔前からデザインが進化していないようだ。携帯で見ると字が細かい。
「これだと、タッチもしづらい……」
椎菜は逐一ズーム等しながら店舗の紹介を開いている。面倒そうだったので、美和も同じ画面を開いていたけれど触らないでおいた。椎菜の端末を覗き込む。
「私はここ。」
椎菜は「古千(こせん)」という和食の店を選んだ。混んでいる可能性も考慮して、他にも候補を決めておく。乗り換えまでにその作業を終え、恩重行きの路線に乗った時には、景色を見られる席を探して二人で向かい合わせに座った。
「んー、眠くなってきた。」
「どうしてここに座ったんですか……」
「美和、カメラで撮っといて。」
「駄目ですよ、自分で見ましょうよ。」
「じゃあ、そっち行く。」
車内は空いているので、椎菜は美和の隣へ移動してきた。肩をもたれかけてくっついてくる。
「美和を撮りたい。」
「景色は?」
「それも撮るけど。」
こちらに携帯のカメラを向ける椎菜。シャッター音はしないが、もう撮影しているようだ。
「私も先輩のこと撮りますから。」
「いいよ。」
膝に手が乗せられた。椎菜の顔が近付く。モニター越しに目が合うと、笑ってくれた。
「どうぞ。」
「ええ……」
少し照れながら、何度かシャッターを押した。ひとしきり撮り終えた後でうとうとし始めた椎菜をつついて遊び、飽きてから美和も眠った。予めかけておいたアラームで、到着時刻の五分前に起こされる。椎菜は美和の顔に髪の毛が触れそうなほど寄りかかってきていた。それを片手で押しのけようとしたところ、力の抜けた上半身が思いの外重く、逆に椎菜を抱き寄せるような形になってしまった。
「美和……?」
「先輩、起きました?」
「いいね、この起こし方。」
「たまたまこうなっただけですって。」
荷物を提げて改札を出、周辺の案内地図を見てから出口へ向かう。駅舎の北側に出ると駐車場と駐輪場、南側にバスとタクシーの乗り場があり、そちら側の道路を渡って南西方向にアーケードが見える。飲食店街もその中なので、美和達は南出口から横断歩道へと歩いていた。
「古めかしいね。綺麗にされてるけど。」
近付いてくる屋根を見ながら椎菜が言う。アーケードの入り口は歩道までせり出して建てられており、その根元に「定礎 昭和五十四年」と刻まれた石が埋め込まれていた。
「何年前だろ。」
「うちのお母さんもまだ子供ですよ。」
鉄の骨組みを見上げながら商店街内に入る。美和達から見て左手側が飲食店街で、横道を曲がって右奥の方に古千の看板が見えた。十字型の道路で全体が4区画に分かれているようだ。
店の前には木のベンチがあり、受付の人からそこで待つように言われた。混んでいるのか訊こうと思っていたら、すぐ後からやってきた老婦人二人がその質問をしてくれた。長時間待つ程ではないらしい。
「隣、失礼しますね。」
彼女らはここの常連で、お勧めのメニューを教えて貰って従ったところ、確かにこれは、と納得した。同時に入店したから出がけにも会うかと思ったが、残念ながらそこはタイミングが合わず、お礼は言えず終いだった。
「また機会があったら話そうか。」
「そうですね。でも若い人が少なかったですね。」
「うん、ちょっと高かったもんね。ファミレスとかに比べたらだけど。」
「先輩、ありがとうございます。」
「いやぁ、そのつもりで準備してるから。」
椎菜と軽く手を繋ぎ、駅前に引き返してタクシー乗り場へ行った。今度は今日の泊まり宿、「せりやま旅館」に向かう。着いたら部屋に荷物を置いて休憩し、メイクを直してから再び出発する。夕方まで過ごすのが「園脇(そのわき)森林公園」という所で、ここからなら徒歩で行けると教えて貰った。二十分程だそうだ。
「美和、疲れない?」
「このくらいなら平気ですよ。」
同じ目的地に向かう人が他にもいて、地図を見なくても公園までは辿り着けた。入り口でチケットを買うと小さいパンフレットをくれ、取りあえず、と椎菜が土産物売り場の横に並んだベンチへ向かった。
「お姉ちゃんにお土産買わないと……」
「今買う?」
「うんと、後で。」
「じゃあ、これ読んでみよう。」
椎菜は座ってハンドバッグを膝に乗せ、更にその上に手を置いてパンフレットを開いてみせる。最初の「ご挨拶」と書かれたページにスーツ姿の男性が載っていた。
「園脇増郎(そのわきますろう)さんって言うのか。」
「この人がここを造ったんですか?」
「んー、先祖の財平(さいへい)さんが植樹を始めて、年月をかけて今の形になったと。」
「代々世話してるんですね。」
「多分ね。」
にこやかな増郎さんの次には園内の地図があった。遠回り、中回り、近回りと三種類の推奨コースと、歩道沿いにある売店やベンチ、自販機の位置まで図示されている。
「これは便利だわ。というか、全然読まないで行った人もいたけど……」
「自分と合わないコースに行っちゃったかも知れないですね。」
「中回りが良さそうだね。行こっか、美和。」
「はい。」
標識に従って目指す歩道を進んでいく。隣に沿う形で水路が巡らされており、今は無いが、落ち葉で路面が埋まらないようになっているようだ。植えられているのは銀杏に、白樺とユリノキらしく、地図で方角を見てみると、暑い季節に日差しを遮る植え方になっていた。財平がどういう意図だったのかが汲み取れる。
「いいとこじゃない。夏にも来ようか?」
「そうですね。」
所々には他のコースと繋がる脇道があって、屋台や自販機は大体その角にあった。中間地点で美和達も休憩する事にして店へ寄ってみる。
「たい焼きか……。」
「お昼からそんなに経ってないですけど、食べたさはありますよね。」
「いっこ買って、半分こしよう。」
中身は餡とレモネードクリームの二種類だった。昔は近くでレモンが生産されていたと、店のおばさんが説明してくれた。その頃の名残だと。
「外国のレモンと、味とか、何か違うのかな。」
「多分、私達には分からないんじゃ……」
「まあ、そだね。美和、あーん。」
半分この最初の一口を、椎菜に食べさせて貰った。
「おいしい。」
「そう? 私もいただきます。」
ここのベンチは木の幹を切っただけで、背もたれが無い。多分、園内の樹木なのだろうと思う。
「飲み物は私が買います。」
美和が自販機でジュースを買い、それも二人で分けあって飲んだ。休み終えたら出発し、時間はあるからと写真を撮りながらゆっくり歩いてスタート地点へ戻ってきた。最初に見た土産物売り場を、今度はちゃんと覗いてみる。メモ帳やペンなど、実用品中心な気がする。
「美和、ストラップがあるよ。」
椎菜が手に取ったのを見せて貰うと、台紙に増郎さんの手彫りだと書かれていた。なので、少量限定らしい。
「凄いです。」
「増郎さん、暇なのかな……」
「いや、そこじゃないです……」
モチーフは鳥で、美和はアトリを選んだ。自分の分も買おうかと思い、ちょっと迷ってから止めた。
「後はお母さん達に……」
母と祖父母にはバウムクーヘンの詰め合わせを選んだ。森林公園にちなんでいると思われる。
「宅配出来るみたいだよ、美和。」
「いえ、これだけですから。」
大した量でもないからと、紙袋を貰って店を出た。宿へ帰ってから夕食までの時間に何をするか、美和は特に決めていなかったが、椎菜は初めから入浴するつもりでいたようだ。
「浴場は24時間いつでも入れるんだって。だから一回お風呂入って、ご飯食べてだらだらしてから、寝る前にもっかいお風呂行こうよ。」
「なるほど、家ではやらないですもんね。」
「決まりね。」
案内図を見ながら風呂へ行き、上がってから浴衣に着替えた。一応美和もお祖母ちゃんに着方を教わってはきたが、結局椎菜に着せて貰う方が早かった。
「先輩、慣れてますね。」
「何回かは来てるからね、こういう旅行。あと、動画で練習してきた。」
「昨日ですか?」
「美和を可愛くしたいじゃん。髪とか服とか、ちょっときまんないとこがあると一日嫌だったりするでしょ?」
「あー……」
「細かいとこ、大事だよ。」
嬉しかった。それを伝えると、椎菜も喜んでくれた。ただ、向かい合わせで夕食をとるのが照れくさくなり、横に並んで座ったらからかわれた。
「なんだよー。」
「だって……」
「まあ、無理強いはしないよ。」
この辺りまでは格好良かったのに、美和のおかずを盗ろうとする椎菜に笑ってしまった。ただ、こういう行為が本人的には照れ隠しなのかも知れないと気付き、呆れたりはしなかった。
部屋に戻ると、布団の用意が出来ている。椎菜は座り込んで二組を寄り添わせるように直してから、テーブルの方に戻ってきた。TVの使い方が書かれたボードを取り上げて眺めている。
「色々見れるよ、美和。CSとか、付けた事ある?」
「うちはないです。TV見る人達じゃないから……。」
「私も。自分が大人になる前に配信のサービスが出てきて……」
「そうですね。私もお姉ちゃんと利用してます。」
「映画でも見る?」
使い方とは別に、その日の番組表が載ったペラ紙があり、二人でもうすぐ放送される作品を選んでチャンネルを合わせた。待っている時間にテーブルをずらし、座布団を並べて座ってみる。その際、背もたれが必要という結論になり、再度テーブルを移動してそこに背中を預けられるようにした。肩を寄せて、自分達でも支え合う。
「始まるね。」
椎菜が頭をもたれかけてくる。荷物を減らす為、今日はシャンプー等も二人で共用している。
映画は美和が生まれるよりもずっと前のもので、そこに興味を引かれた。「ドローラリーズ」という題名の意味は分からなかったが、それも選ぶ理由になった。
冒頭は主役である少年・ヒューの生活が描かれる。アメリカ中西部のマースリークという町で、印刷会社に務める父親と暮らしているようだ。母はいない。離婚したのだと分かる。父は融通の利かない人物で、上手くいかなくなったのもその辺りが原因なのだろう。
母はヒュー宛にいつも手紙をくれていた。ただ、最近は数が減ってきており、このままではいずれ途絶えてしまう。母の住むセロンボロはここから遠いけれど、一度会いに行きたいと、ヒューは思うようになった。父にその事を伝えてみると、当然反対された。私達はもう終わったんだ、母さんだって一生手紙をくれるわけじゃないんだと。どうせ賛同される筈が無いと考えていたヒューは既に必要な旅費を貯めており、夏期休暇を迎えてから一人で家を出る事になる。まずある程度の距離を行ってから、父に電話をかけた。怒られたが、もう出発してしまっている以上、結局は折れるしかなかった。ヒューは旅路に戻る。
「いいの? 一人で行かせちゃって。警察に相談とか……」
「世間体ですかね。奥さんに逃げられて、子供も家出した! ってなったら……」
「ご近所のあれかー。」
寄り道などしなければ、セロンボロへは2、3日で着くはずだった。途中、買い物に寄った店で欲しい品物が見付からず、店主の老人に声を掛けるヒュー。彼はバックヤードに案内してくれた。ところが様子がおかしい。この老人は小児性愛者で、ヒューに性的ないたずらをしようとしていたのだった。逃げようとしたが捕まり、声を出せないように口を塞がれる。危機を感じた時、鍵を破壊して若い男が飛び込んできた。男は店主に銃を突きつけ、ヒューを解放させた。
店を出てから、ヒューは一応助けて貰った礼を言う。男はジェリーと名乗った。しかし、警察に行くべきだと主張すると断られた。あのジジイが強盗に襲われたと言ったらどうする? お前も共犯だぞと反論される。鍵を壊し、銃まで突きつけたのはジェリーだが、確かにその可能性はあるかも知れない。この時はヒューもそれで納得した。どのみち、この怪しげな男ともすぐに別れると思っていたからだ。
が、ヒューは店主と揉み合った際に財布を奪われていた。店に戻ればややこしい事になり、父が呼ばれ、もう二度と母のところへは行けないだろう。仕方なく、ジェリーの車でセロンボロまで送って貰う事になってしまった。
その道中で、どうやらジェリーも何かしでかして、警察に追われているのではないかとヒューは気付く。買い物などを全て自分にやらせ、いつも顔を見せないようにしている。見付かったらまずい、つまり彼もヒューが必要なのだ。その立場を使い、何をしたのか問い詰めてみた。
ジェリーは地元で、恋人の浮気相手を半殺しにしてきたそうだ。俺、悪くないだろ? と言われた。その矢先に、具合の悪くなった男性に声を掛け、自宅まで送り届けたりしている。きっと善悪のボーダーラインが狂った人間なのだと思うが、ヒューを利用相手として巻き込むだけの知性など、まだ全部向こう側に持っていかれている訳ではなさそうで、ヒューはどうにか自首して貰えないかと思うようになる。セロンボロで母に会った後、説得してみよう。そう心に決めた。
「何か、重い……」
「寄りかかりすぎました?」
「いや、美和じゃなくて、映画の話さ。」
そう言われるとそうかも知れない。
「別の番組にしましょうか?」
「うん。」
美和は先が気になったが、多分配信に入っていそうな作品なので、今は椎菜に合わせる事にした。ペラ紙を見て、動物系の番組にチャンネルを変えた。
「はー……力が抜けてく……」
そう言いながら、椎菜は体を寝かせ、美和に膝枕される体勢になった。更に手をこちらに伸ばしてきたので繋いであげる。
「癒やされる……」
「もうちょっと見たら、飲み物でも買いに行きません?」
「そうだね。」
手を離し、仰向けで美和を見つめる椎菜。頬にキスしようと試みたが上手くいかず、起きて貰ってからやり直した。
翌朝、朝方に少し寝てから宿を発ち、徳野まではまた仮眠し、そこからは椎菜と写真を見せ合いながら帰ってきた。欲しいものは無線で送信して貰う。その後、駅前で椎菜と別れ母を待つ間に写真フォルダを見返してみる。起き抜けにアップを撮られ、二人でふざけて撮りあった部分だけ枚数が多い。同じようなアングルばかりなのと、自分の顔に思わず笑う。そこへ母から「もう着くよ」とメッセージが入ってきた。
「お待たせー。」
「お疲れ様、お母さん。お昼食べてないよね?」
「うん。その辺で済まそっか。」
ファーストフードで昼食をとり、コンビニで夕食の買い物もしておく。調理済みの惣菜と、フリーズドライの味噌汁。母に翌朝の用意があるのか訊くと、パンが残っているそうだ。
「みわちゃん、こういうのでいいの?」
「お母さんに休んで欲しいから。」
バスに乗り、通学時に降りる停留所よりもっと先で降りる。古い住宅街の中に母の住むアパートがある。2階まで上がって中ほどの部屋、鍵を開けて荷物を置き、靴を脱ぐ。ワンルームだが、押し入れがあるので椎菜の部屋より少し広く見える。
冷蔵庫に食べ物を入れてから、母は腕時計を確認した。大分ゆっくりできる。
「旅行、どうだったの?」
「楽しかったよ。」
但し、美和と椎菜は友人だという事になっている。写真を選んで母に見せながら、やや窮屈さを感じた。早く言えたら良いのにと思う。
「ここがお土産を買った公園でね……」
「いい所じゃない。お祖父ちゃん達を連れてってあげたら喜びそう。」
「お姉ちゃんも好きそう。」
「じゃあ、いつか皆で行けたらいいね。」
そこから祖父母や姉の近況を話し、母の生活についても聞いた。
「みわちゃんみたいに、沢山話すことがないね。」
「何か趣味を始めるとか、ないの?」
「何か作る?」
「育てるとか?」
「動物は無理ね。」
「じゃあ、植物?」
「植物ねぇ……。」
どうせなら食べられるものにしようかと、携帯で調べながら一緒に見る。どうやら、水耕栽培用のキットを買うか、プランターを自作すれば、後は好きな物を植えられるようだ。
「100均グッズで作れたりするんだね。みわちゃん、よく行ったりする?」
「行くけど、蓮妻のは小さいお店だよ。道具が揃うか分かんない。」
「どこか大きい店を探すか、通販でキットを買うとかかな……」
慣れないうちはキットを買った方が良いのではと話し、それを詳しく調べてみる。大きい物だとスペースや動作音等、事前に考えておく課題があるが簡単に育つ。電源不要の小さいプランターは置きやすいが収穫が少ない。といった具合らしい。
「電気使うやつの方が良さそうだね。私はここで寝るしかないから、光や音がどのくらい気になるかだけど。」
「やっぱり、実物を見ないとあれかな。」
「どこで売ってるの?」
「どこだろ。取りあえず、都会? の電気屋さんとか?」
「電気屋なの?」
美和も祖父母に勧めてみようかと思うので、いずれ母と二人で実物を見に行く事にした。その間に日も暮れてきている。
「お母さん、何時に寝るの?」
「10時かな。」
「早くない? いや、そんなもんかな……」
「年だからね。」
今日は美和もいるので、まず母が風呂へ行き、その後食事をしてから美和も入浴して休む事にした。洗濯は美和がする。
「ご飯作らなくていいと楽だわ。」
「いつもそうしたら?」
「高くつくし、きっと体調崩すよ。」
「そう。」
母は押し入れを開けて寝巻などを出している。いつかは私もこういう生活をするんだなと思いながら、美和はその背中を見ていた。姉の顔が脳裏に浮かぶ。自立しなくてはいけない自分とは逆に、美鈴は誰かに気を遣う事から解放してあげたい。一人暮らしを目指すにしても随分と理由に差がある。
「じゃあ、お母さん行ってくるからね。」
「うん、ゆっくりね。」
母に頷き、その背中が戸を開けて室外に消えてから美和はまた携帯に向き直った。液体肥料など、消耗品について引き続き調べてみる。TVを点けておこうかと思ってリモコンを取り、結局何もせずに置いた。普段見ないのだから、急に見たい番組など思い付かない。
「んー……」
携帯を持ったまま体を横たえた。姉がいたら怒られる。目に悪いよと、わざわざ抱き起こしに来てくれるだろう。
暫く通販サイトを眺めていたら、バイブ音が聞こえてきた。自分が持っている方ではないから、母のものだ。押し入れの前に置かれた鞄に携帯が入っているらしい。すぐには着信が止まらず、もしかして大事な用かと気になり始めたところで鳴り止んだ。美和が鞄の前に座った時にまた短く音がして、何かメッセージが届いたようだった。その時、先日見た母の反応を思い出す。もしかしたら、美和が想像しているような相手かも知れない。逡巡は一瞬で、手が携帯を持っていた。悪いことをしていると分かっているのに止められない。端末がロックされていれば諦められるという気持ちもどこかにあったが、母は何もしておらず、美和は勢いのまま、メッセージを全て読んでしまった。
送り主は尚美さんという人で、ちょっとした仕事の愚痴と、二人の時間がもっと欲しいねと、付き合っている人間同士が普通に送り合うような内容だ。ただ、相手が同性なのは意外だった。自分を産んだ母親だし、交際するなら異性だろうと勝手に思っていた。好きだよ、と書かれた最後の一文を読み返す。美和と椎菜に、急に重なり合う部分が多くなったと感じる。同時に色々と考えなくてはならない事が出てきたのだが、今は母が風呂から上がってきてしまうので、美和は一旦思考をお預けにしておいた。
「みわちゃん、お待たせ。お腹減った?」
「ううん。私が準備するから、髪乾かしてて。」
「ありがと。」
食事を挟み、美和が入浴する番になってから、改めて、またいくらか落ち着いて思いを巡らせてみる。祖父母が母の人生を心配しているのは本人も分かっているだろう。それなら、交際相手についていずれは打ち明ける機会が来る筈だ。同様に、美和も美鈴にだけは椎菜との関係を話そうと思っている。問題はそれをいつにするかだった。姉が尚美さんの存在を知った後が良いのか、それとも先が良いのか。美和は自分も女性と付き合っているから母への驚きもすぐ収まったが、姉は違うかも知れない。ならば、自分が先に恋人の話をしておいた方がきっと受け入れやすくなる。美和は椎菜と会った時、近いうちに自分達の事を姉に話してもいいか、訊いてみようと決めた。
次の土曜日、美和は普段通りに椎菜と待ち合わせ、食材を買ってアパートまでやって来た。今回は鶏つくねを作る予定だ。
「美和、まず野菜を切るところからだね。」
「はい。」
教本通りに野菜をみじん切りし、ボウルで鶏ミンチと合わせる。
「パン粉、牛乳、卵と調味料を適量。」
「えーと……」
パン粉等は目安が書いてあったが、調味料は塩、コショウ、油を好みでとしか書かれていない。
「何がどのくらいでしょうね。」
「ハンバーグ的な感じ? あ、美和、ハンバーグって作った事ある?」
「ないですね。」
「あー、先に勉強しとかないといけないメニューなんかもあるわけだ。」
その辺は自分達で順序を組むしかないので、今度からある程度先まで見越してメニュー決めをしようと話した。
「じゃあ、ここは私も参加するから、一緒にやろ。」
「はい。」
椎菜と二人で材料を混ぜ、一口大に分けてからフライパンで焼く。色を見ながら裏返すのを繰り返し、一つ食べてみて中まで綺麗に焼けていたら完成となる。
「もっとこねた方が良かったかな。後、油は減らしてもいいはず……」
試食しながら椎菜が改善点を教えてくれる。美和はA7判のノートにメモを取りつつ、自分もつくねを一個食べてみた。
「私はこれより薄味でもいいですね。」
「そう?」
「味が濃いのは直せないですけど、薄いのは塩ふればいいですから。」
「そうか。私はつまみとしても見てるからなー。」
「そうですね。」
二人とも口と同時に手も動かし、道具の片付けを始めている。残ったつくねはラップをかけて冷蔵しておいた。椎菜が夜か朝にでも食べるだろう。台所が綺麗になったら休憩に入る。特に何をするとも決めず、お互い好きに過ごす時間だ。
座椅子に座って雑誌を開いた椎菜の側へ寄っていって正座する。
「先輩。」
「何?」
「私たちの事、お姉ちゃんにだけ話そうと思ってるんですけど、いいですか?」
「うん? 言っちゃうの?」
「はい。」
「別にわざわざ言わなくても……」
「でも、恋人同士なんですから、信頼出来る人には少しずつでも……」
「え?」
その表情で分かった。どうやら、自分達が恋人だと思っていたのは美和だけだと。椎菜は間を開けてから、ばつが悪そうな顔で切り出してきた。
「美和は、そういう風に思ってたんだね……。」
「だって、あの。」
「いや、麻理ちゃんの紹介だからてっきり分かってるもんだとばかり思ってた。」
「先輩……」
「なんか、ごめんね。説明不足で。」
椎菜はまだ何か話しかけていたが、美和はもう、どういう顔を向けていいのか分からなくなっていた。反射的に荷物を持ち、玄関まで走り出す。
「美和! ちょっと!」
「ごめんなさい!」
大声で椎菜を遮り、背中を見せたままドアを閉めた。階段を降りてバス停までの道を駆け抜け、途中で一度振り返って椎菜が追って来ないのを確かめると、徐々に足は遅くなっていった。
椎菜とは、自分が思っていたような関係ではなかった。それだけでなく、恐らくは美和に本当の事を話し、その反応を見るところまでが彼女の性的嗜好に含まれているのではないか。きっとそうだ。
麻理ちゃんの紹介だから、というのなら、麻理子もまた、椎菜とこうして遊んでいたに違いない。夏の間を楽しく過ごし、後腐れなく別れた。ただ、それでは椎菜の趣味は満たされなかった。つまり、「なんか、ごめんね。」というのは嘘なのだ。知っていて何も言わずにいたのだろう。この経緯について麻理子に問いただしてやりたかったが、恐らくそれをすれば美和は学校社会での居場所を失う。姉に迷惑をかける。今まで通り友人でいる他なかった。バスに乗る間、電車に乗る間、窓ガラスに映る自分を見ながら、美和はひたすら表情が普通になるよう務め続けた。
「ただいま。」
「お帰り、みわちゃん。」
出迎えてくれた姉は、美和の変化には気付かないようだった。夕食の支度を手伝おうと誘われたが、やり残した課題があると言って断り、部屋に入った。座ってヒーターを点け、のろのろと鞄の中身を取り出しては整理する。最後におかず作り用のノートを文机にしまうと、美和はそのまま突っ伏した。溜め息が出る。椎菜との思い出が、頭の中で急速に色褪せてゆく。それでも100%嫌いになれる訳ではなく、もどかしい気持ちだった。椎菜だってあんなに楽しそうだったのだから、という期待がまだある。これが消えて無くなるまでには時間が掛かるだろう。その間が苦しい。
「みわちゃん、そろそろご飯だよ。」
部屋の外から姉に呼ばれた。美和は一旦腰を浮かせてからまた座り直した。文机の引き出しを見つめる。椎菜と使っていたレシピ本を取り出し、胸に抱えて立ち上がった。一度深呼吸をしてから階下へ向かう。
台所で飲み物を用意していたお祖母ちゃんは、美和が持っているそれを見て、どういう事なのか説明して欲しいという表情になった。
「お祖母ちゃん、これね、この間買ったの。」
「お弁当の本? 美和も作りたくなったの?」
テーブルに箸を並べていた美鈴が目を見開いているのが見えた。それでも構わずに続ける。
「うん、お祖母ちゃんのこと、手伝いたくて。教えてくれる……?」
「いいわよ。月曜からでもいいけど、起きられる?」
お祖母ちゃんは嬉しくて上の空になり、やりかけていた仕事はお祖父ちゃんが全て代わっていた。食事中もずっとその話題が続いていたが、最後まで姉は口を挟まなかった。風呂に入り、部屋で二人だけになった後、座らされて尋ねられる。
「みわちゃん、先輩に料理を教わってたんだよね。」
「うん。」
「秘密にしておくんじゃなかったの?」
「ちょっと、ね……」
「何かあったのね。」
美鈴は隣に近付いてきて、膝の上にあった美和の手を取り、包み込んだ。何があったのか話そうと思うのに、今まで普通に振る舞っていたのに上手く言葉が出てこなくなった。じっと待っている姉の手の温もりに、少しずつ涙が滲んでくる。泣いたらそれが返答になってしまうけれど、止められなかった。
「みわちゃん……。」
手を離し、ティッシュで涙の筋を拭う美鈴。顔がすぐ近くにある。
「お姉ちゃん……!」
ふざけて抱き付いた時は引き剥がされるが、今は逆に抱き返してくれた。せっかく拭いてもらった涙も、もう倍くらい溢れている。
「だいたい分かったから、今日は特別だよ?」
美鈴は美和を自分の布団まで連れていき、先に入るよう促した。その後から自分も潜り込む。美和の体を横向きにして、後ろから支える形でお腹の辺りに手を回してくれる。
「ずっとこうしててあげるから、泣き止んだら一緒に寝ようね。」
「ありがと、お姉ちゃん……。」
「どういたしまして。」
最後にもう一度お礼を言おうと考えていたのに、美和はいつの間にか寝てしまっていた。差し込む朝陽の眩しさで目が覚め、後ろにいた姉は起きて寝巻から着替えている。
「みわちゃん、おはよう。」
「おはよ、お姉ちゃん。ほんとにありがと。」
「いいのよ。着替えさせてあげようか?」
「自分で出来るもん……。」
と言いながらも甘えさせて貰った。下着だけ自分で決め、後は姉の好みに任せておく。今日は一日外出する気にはなれないので、部屋着をリクエストした。
「どれにしよう。お姉ちゃんの服、着てみる?」
「いいの?」
「こっちに来て。」
押し入れの中を二つに仕切り、置いてある衣装ケースから美鈴は好きな物を取り出して美和の体に宛がう。
「着たいのある?」
「全部、お姉ちゃんに任せる。」
「本当は一緒にいてあげたいんだけど……」
ゆったりしたニットとスカートを選んで美和に渡し、袖を通すあたりまで手伝いながら姉は話している。今日はこれから、花木先生の親戚と会うそうだ。その人の会社は毎年、美和達の高校から学生を採用している。
「先生にそんな繋がりが……。知らなかったよ。」
「女の人だって。普通の主婦だったんだけど、旦那さんが脳内出血で倒れて、一人では仕事が無理になって、それから一緒に経営をやってるみたい。」
「ふーん……」
ついでに言うと、美和は姉にそんなコネがある事も知らなかった。いつの間にか先に行かれてしまったような気がする。
「気に入られたら採用?」
「さあね。私はそこまで考えてないかな。年上の知り合いがいたら色々アドバイスも貰えそうだから、会うだけ。」
向こうにもこちらの家庭環境は伝わっているだろうから、気に掛けてくれているのかも知れない。良い人のようだ。
「頑張ってね。」
「みわちゃんも、元気になるのよ。」
そう言って美和を抱き締め、朝食後に姉は出掛けていった。美和はその後片付けを手伝ってから部屋に戻り、文机の前に座ったが、やはり何をする気にもなれない。一人になるとまた、椎菜への感情が燻ってくる。たった一晩では好きという気持ちも目減りしない。どうして? と思う。答えて欲しいと思う。ただ、今会っても椎菜を喜ばせるだけだろう。もう少し待った方が良い。
美和は机上の携帯を取り、自分と姉の座布団を並べて寝転がった。「ドローラリーズ」の続きを見る。そういう気分だった。
ジェリーと数日の旅を続けたヒューは、セロンボロの市街に到着した。母の住むマンションを突き止め、まずは様子を窺う。手紙が滞った事で予想はしていたけれど、母には男が出来たようだった。但し、幸せとは言い難い。母の顔に痣がある。腕にも。暴力を振るわれているのだろう。しかも、男は元市会議員の一族らしい。ヒューの立場で取れる行動はほぼ無く、それを察したジェリーは時間を置く事にした。その間にどうするか決めろと。翌日の午前中、車で観光をする二人。しかし昼食をとりに向かう際に警官が現れる。警戒するヒュー。が、彼はレックスといい、セロンボロの住人ではなく、ジェリーの地元から来た知り合いだった。上司に無理を言ってここまで追って来たそうだ。ジェリーは動じず、じゃあ捕まってやるからこいつの話を聞けと、ヒューを彼に紹介した。レストラン内で話す三人。夜にはお前の泊まってるホテルに行くから、それまで時間をくれとジェリーはレックスを説得した。ただ、親しいから応じて貰えたのではなく、何か弱みを握っているような印象をヒューは受けた。
期限は夜だったが、実際には母が帰宅する夕方までに行動しなくてはいけない。ジェリーは自分で考えて好きにしろと言う。ヒューが焦り、僕に出来る事なんてと言い返すと、ならお前の選択肢を増やしてやろうかとジェリーは提案してきた。銃を渡される。弾は抜いてある、でも身の危険があったら使えるんじゃないかと言われた。断りたくても、実際のところ素手の子供の力など知れている。それを見越してか、ジェリーは母のマンション近くの公園でヒューを車から降ろすと、早々にレックスの待つホテルへ向かってしまった。
あと数時間、ヒューは一人ベンチで迷っていた。まだ迷っていられるからだ。ところが、通りの遠くから母が歩いてきている。何かの事情で早く帰宅したらしい。急に判断を迫られたヒューは走りながら考え、マンションの宅配ボックスに銃を入れておいた。そしてホテルへ向かう。母がそれを受け取ったのかどうかは、怖くて確認出来なかった。ジェリーを拘束し、レックスはヒューも自宅まで送り届けてくれた。父には何があったのか話さない。もう満足したから、今後母に会う気はないとだけ伝えた。
数年後、ヒューは元通りの生活を送っていた。自力でジェリーは説得出来なかったが、結果的には捕まってくれたし、良かったのじゃないかと思う。が、ある休日、自宅に電話がかかってくる。父は不在なのでヒューが出ると、聞き覚えのある声がした。ジェリーだ。マースリークに引っ越してきたのだと言う。呼び出されて外で会い、ジェリーの自宅まで連れて行かれるヒュー。ドアが閉まる。何故住所や電話番号までジェリーが知っているのか考えていると、彼はポケットから財布を取り出した。あの店主が盗んだとばかり思っていた物だ。驚くヒューにジェリーは近づき、体に触れてきた。ベッドに押さえつけられる。逃げたいか? 俺は別にいいけどなと、更に枕元に置いた新聞を指差された。母があの後何をしたのか書かれていた。弾は抜いてある、というのも嘘だった。あの日母の帰宅が急に早まったのも、考えてみたら出来過ぎだ。ジェリーが何かしたのだろう。
お前は使い出がある、気に入ったよと囁かれ、首筋と耳に舌が這う。唇を執拗に貪られる。恋人の浮気相手を半殺しにしてきたという話を思い出す。どちらも性別については一言も言っていなかった。説得どころか、ヒューはこの男の人格を完全に見誤っていたのだと気付く。もう本気では抵抗出来なくなっていた。
「これから、よろしくな。」
映画はここで終わった。「あなたへのおすすめ」の表示を目で見たまま、美和は考えていた。もっとレックスを頼れば事態は解決したかも知れないが、彼はジェリーにコントロールされている。ではヒューが銃を渡さなければ良かったのか。これも財布を盗られている時点で余り意味が無い。こうなると、ジェリーと出会わなければ良かったのか、そもそも母のところへ行こうとしなければ良かったのかと、言いだしたら切りがない。美和は少しずつ、自分の立場に置き換えて想像し始めた。椎菜と付き合わなければ良かったのか、麻理子と親しくならなければ良かったのか、そもそも姉と同じ高校に入らなければ……と、これも言いだしたら切りがない。何もかも失敗だったのだと、悲しい気持ちで胸が一杯になった。椎菜を、というより誰かを好きになった事まで否定するのが辛い。それ自体はとても良いものの筈なのに。
美和は携帯を触り、椎菜と旅行した時の会話を読み返した。また涙が落ちて、でも姉はいない。仕方なく自分でティッシュを取りに行った時、メッセージが届いた。緊張したが、送り主は椎菜ではなく母だった。水耕栽培用の消耗品を買ったと書いてある。返事を少し考えて、「会いたい」とだけ返した。
夕刻、蓮妻駅では母が待っていた。本当は上台に戻ってくる週だけれど、他の人の代わりに仕事に出ていたそうだ。多分、尚美さんではないかと美和は思う。
「みわちゃん、寂しくなっちゃった?」
「うん……」
早速抱き付いてくる美和を受け止めて母は笑った。一緒にアパートまで帰って部屋に入ると、液体肥料やスポンジ等が隅に置いてある。
「何を育てるか、今考えてるの。近いうちにキットも買いに行くからね。みわちゃんもその時は呼ぶわよ。」
母は美和が水耕栽培の準備を見に来たと思っているようだ。そう言えばただ「会いたい」としか言っていなかった。美和は座って、栽培キットを置く予定の場所にいる母と向き合った。
「お母さん、好きな人っている?」
「あら、急にどうしたの。」
いきなり核心をついた話題になっても母は気にせず、すぐ側まで来てくれた。姉と仕草が似ている。
「みわちゃん、そういう人が出来たの?」
「一応、ね。」
出来たどころではなく、もっと深刻な事になっているが、今話すべきではない。知りたいのは母の気持ちで、言ってみればその「良いもの」に触れていたかった。
「お母さんも、好きな人はいるよ。」
後ろに回って、美和の髪を撫でながら言われる。躊躇わず教えてくれたから、尚美さんとはかなり進展しているのだろう。
「家族にも話した方がいいと思ってたところなんだけど、じゃあ先にみわちゃんにだけ会ってもらうのもいいかもね。」
「私はいいよ。どんな人?」
「優しくて、大人っぽい? この年でそういうの、ちょっと変だけどそんな感じ。」
性別は伏せておきたいようだ。ただ、美和は知っている。振り返ると幸せそうな母の顔がある。罪悪感が増した。一体自分は何をやっているのかと思って目を逸らした。
「きっと、気に入ってくれると思うけど。」
自信がありそうで羨ましい。母は美和の肩を支えに立ち上がり、流し台の方へ歩いていった。
「そろそろご飯作らないと。みわちゃんは家に帰る?」
「ちょっと手伝うよ。簡単な事なら出来るの。」
「へぇ、いつの間に。お祖母ちゃんに教わった?」
「そんなとこ。」
「じゃあサラダ作ろっか。詰めてあげるから持って帰って。」
実家に電話して、おかずを一品減らすように頼んでから、美和は母とサラダを作り始めた。人参と玉ねぎを刻み、少し置いてから調味料とツナ缶を加えて出来上がり。待ち時間に味噌汁の用意も進めるので、そちらも手伝った。タッパーにサラダを詰めている間に帰り支度をするよう言われ、席を外して戻ってきたら、かなりの量が持ち帰り用になっている。
「こんなに、いいの?」
「私は一人で、そっちは四人でしょ。残っても朝食べられるし。」
「まあ、そっか。でもお母さん、食べる量減った?」
「ちょっと減ったかもね。油ものなんかも余り摂らなくなったし。」
「体、気を付けてね。何かあったら……って、そうだね、来てくれる人いるんだよね。」
「うん……。」
照れた母の顔は可愛く見えた。タッパーを受け取り、鞄の中で傾かないように他の荷物で押さえてから、匂いを嗅いでみる。電車内で目立つ事は無さそうだ。
「それじゃ、私行くね。」
「うん、気を付けるのよ。」
玄関で母に見送られて出発する。帰宅まで一時間程の間、母の事、自分の事を考えていた。母が尚美さんと二人で積み重ねたのと同じものが自分にもある筈だったのに、それは一瞬でかき消えてしまった。一掬いだけ掌に残った何かに目を向けてみる。これも美和一人では維持出来ず、砂のように流れていくだろう。ただ、椎菜にも持たせられれば、形として残せるかも知れない。それが愛と言えるようなものかは分からないが、美和に出来る行動はもう、そのくらいしか無いのだった。
週末までには椎菜から連絡があるのではと思っていたところ、土曜になってメッセージが届いた。「会って話したいんだ」と。美和は儀式的に暫く迷い、「行きます」と椎菜に返信した。部屋着を脱いでタイツとスカートを履き、ハイネックセーターにチェスターコートを着る。鞄に外出道具を詰めてから階下へ降りていき、冷蔵庫横のホワイトボードを見た。姉は今日、まだ学校に残っていて、祖父母は買い物に出ている。美和は考えたが、結局何も書かずに出掛けていった。
待ち合わせの蓮妻駅前には美和の方が早く着いた為、草浅まで行く事にした。バスを降りると椎菜が待っていて、こちらに歩み寄ってきた。旅行に行った時と同じ服装で、ワイシャツだけが違う。
「美和、来てくれたね。」
「はい。」
他に誰も通らない中、二人は並んでゆっくり歩き出す。
「私さ、美和のことは気に入ってるんだよね。他の子と違うの。」
椎菜は笑顔を向けてくる。美和は少し微笑むと差し出された手を取り、椎菜はその反応に満足したようだった。
「一緒にいてくれる?」
その言葉がどの程度本気なのかは美和にとって問題では無かった。もし椎菜が美和を裏切り、他の子に手を出すような事があれば、美和は自分を抑えずに椎菜をどうにかしてしまうだろう。それでおあいこなのだと思っている。その時に初めて、この感情が対象化出来るのだと。
アパートに着いて階段を昇る際に椎菜は手を離し、部屋のドアを開けて、美和を招き入れる為にまた繋いだ。室内は暖かく、暖房を点けっぱなしにしているようだ。
「鍵、閉めちゃって。チェーンもね。」
鞄を渡して手を空け、言われた通りにしていると、椎菜がもう、美和の体を抱き寄せてきた。靴箱に背中が押し付けられる。椎菜の手は腰を離れて肩を抱き、美和の頬を撫で、顔が近付く。
「好きだよ。」
答えを待たずに唇が触れる。目を閉じて椎菜の良いようにさせていると、口内に舌が入ってきた。舌先を馴染ませ合いながら、少しずつ口元が濡れてゆく。ひとまず満足したところで椎菜はジャケットを脱ぎ捨て、美和のコートも脱がせようとしてきたが、二人共まだ靴も脱いでいない。
「先輩、まだ……」
「うん……」
もどかしそうに靴を脱ぎ、美和を待つ椎菜。部屋に上がるとすぐにコートを取られ、壁際で体を密着させてきた。そのままスカートを脱がされて、太ももをすり付け、お尻を撫で回してくる。更に美和の息遣いを確かめながら椎菜はセーターをたくし上げ、インナーシャツ越しに胸を触り始めた。最初は片手を背中に回し、片手で胸を愛撫していたのが、少し腰を落として両手で揉むようになった。首筋に吐息がかかる。ただ、長く続けるには椎菜が辛い姿勢なので、合わせて欲しいのだなと思い、美和は自分からセーターを脱ぐ。すると椎菜は美和を後ろ向きにして背後から抱き締めた。色々な部分が当たる。もう布越しでは物足りない。
「待って、全部脱いじゃいますから……」
インナーを脱ぎ、ブラを取って貰ってから美和も椎菜のワイシャツに手を掛けた。ボタンが全て外れると椎菜はシャツを床に放り、ショートパンツもその上に脱ぎ捨てた。そして美和に背を向けてタイツを脱ぎ出す。
「美和、こういう風にさ、見せてみて。」
お尻を突き出し、見せつけるようにやれと言われる。腰をくねらせ、いやらしい動きでタイツを下ろしていく椎菜。太ももの隙間やお尻のラインに見入ってしまい、見せて貰った以上は美和もやらなくてはいけなくなってしまった。
「こういう感じで、いいですか……?」
「うん、よく見えるよ。」
椎菜の前で服を脱いだり、脱がされたりした事はあっても、こんなやり方は初めてで、頬が赤くなってしまう。
「ゆっくりね……美和、やらしーよ……」
後ろから、椎菜の声が近付いてきている。
「そこで止まって。」
膝上までタイツを下げた状態で手を止める。椎菜がお尻に触ってきた。徐々にショーツをずり上げ、食い込むようにされてから、指先が軽く秘部を撫でる。優しい触れ方だけれど、絶え間なく触られてしまう。
「ん……」
姿勢を維持出来なくなって壁に手をつく。
「美和、真っ赤……」
椎菜はショーツをタイツの上まで下ろし、今度はお尻の穴に指が当てられた。
「や……!」
中に指を入れられるのではないかと思った美和は椎菜から逃げ、床にへたり込んでしまった。感じているだけでなく、恥ずかしさでも涙が滲む。
「ごめん、美和が可愛いかったからさ。」
座ってタイツを脱がしながら椎菜が言う。ショーツを自分で脱いだ後、下が床では痛いので、座椅子か布団にでも移動しようと立ち上がっていた時に携帯の通知音が聞こえた。玄関先に置いたままの鞄からだ。
「美和、何か来てるよ。」
「そうですね。」
椎菜と手を繋いだまま一緒に歩いて、携帯を取りに行った。美鈴からメッセージだ。夕食の献立希望を訊きたいらしい。
「お姉さん、良い子だよね。」
「知ってるんですか?」
「噂を聞くってだけだけど。ご飯、何にするの?」
「お魚、和食とかで……」
返信し終わったところで振動音を低くした。携帯を鞄に戻した美和に椎菜は後ろからくっつき、胸を弄る。アンダーを支えるように揉んだり、乳首を転がしながら耳たぶも同時に食まれる。あっという間に体の熱さが戻ってきた。
「美和は悪い子になっちゃったねぇ。」
息を上げ、脱ぎ散らかした衣服を見ながら、美和はどう答えるか考えていた。
「ねえ、椎菜って呼んでもいい……?」
その返事に始め驚いていた椎菜も、じきに笑った。挑発的な目の色をしている。
「いいよ。美和だけだよ。」
「うん……」
向き合って椎菜のブラを外し、二人はキスをした。部屋の隅に畳んである布団から敷布団だけを広げ、寝転がって向かいあう。椎菜は美和の上半身から下半身まで順繰りに愛撫して、最後に秘部へ繰り返し指の腹を這わせ、その美和の液を唇に塗りつけてもう一度キスをしてきた。唇を深く重ねた後で少し開け、美和の上唇と下唇を啄ばむ。美和が応えるように舌を突き出すとそれも軽く吸ってから舌を絡める。その間手はずっとお尻から太ももにかけてを撫で回していた。
「美和……」
「なあに?」
「脱がせて欲しいな。」
上体を起こし、椎菜のショーツを脱がす為に腰の近くまで移動して両手をかける。美和の動きに合わせて椎菜は足を伸ばし、ショーツが片足から外れると今度は膝を上げて縮めた。美和は全て脱がし終えた手で膝裏を持ち上げ、足の間に入り込む。椎菜もまた、濡れているのが良く見えた。寝そべって顔を近付け、指先で触れてみる。その匂いを吸い込む。
「もう、こんなだね……。」
「美和とだから。やっぱり、他の子より相性良いんだよ。」
他の子、という言葉が聞こえた一瞬に美和の表情が凍り付いたが、椎菜には見えていなかった。その顔色はすぐに消え、足元から戻ってくると椎菜の体に緩く抱き付く。
「ねえ、椎菜。」
「んー?」
「改めて、よろしくね。」
耳元で囁き、頬に口づけてから、美和は椎菜の手を取って自分の体の方へ導いていった。
「して?」
「くちゅくちゅ?」
「うん。」
その言い方に二人で笑いながら、椎菜は姿勢を変えて、美和の中に指先を入れてくる。まず浅いところをなぞり、美和が吐息と声の漏れるままに任せ始めると、もっと気に入っている場所を刺激するようになった。体を預け、上り詰めていく中で椎名の目を見る。
「好き……っ」
「うん、好き、美和。」
椎菜も同じ言葉を返してくる。但し、表層から根幹を辿っていけば、その最深部にある感情は全く違っているだろう。理想とする関係も、未来も。
互いの都合を満たし合っている今のバランスが非常に脆いと分かっているのは自分だけで、それが壊れた時に椎菜はどんな顔をするのか、美和は心にある種の期待が生まれている事を自覚しながら、潤む瞳で彼女と見つめ合っていた。
終わり
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